僕はやっぱり良く解っていなかった。

昨日の続き
シュトュットガルトからマンハイムで乗り換えてハンブルグへ。ハンブルグから、コペンハーゲン、ヘルシンゴール、ヘルシンボリ、と乗り換えてやっとストックホルムへ。ヘルシンキへ船で往復してから、いよいよ北極圏の街ナルビクへ。
ナルビクへ到着したのは、5月17日土曜日。シュトュットガルトから1週間。誰も生野菜を食べるのを止めていない。牛乳も普通に販売されている。魚だって普通に食べられている。これは誰も食べられない。非常な広域で汚染が起きた場合、食べるものを選択することは不可能なのです。何が起ころうと今までと同じように食べ続けるしかないのです。誰もチェルノブイリのことを口にしないように思えます。無力だから?
6月末。トルコのカッパドキアからシュテュットガルトまで25日間かけて旅をします。
イスタンブール黒海と地中海の接点。チェルノブイリの川の水は黒海に流れ込みます。それでもガラタ橋の魚屋さんは何も変わりません。
ハンガリーでは湖全体が温泉になっているところへ入りました。当然流域面積全ての汚染物質が入り込んでいるはずです。でも、体のために湯治に来ている地域住民がいるわけです。近くの宮殿では、室内楽のコンサート、100人程しか入れない会場なのに一人320円で聞くことができます。民宿では庭になっている洋なしをたっぷりもらいます。当然死の灰をかぶっています。
ポーランドでは、死の灰がひどく、子供達は強制的にヨウ素液を飲ませたとの情報。甲状腺ガンを防ぐための手段で、放射性物質甲状腺に貯まらないように、要素で埋めてしまうと言う作戦です。さすがにポーランドへの入国は諦めました。
再びシュテュットガルへ戻ったとき、日本からの新聞記事の切り抜きがたくさん届いていました。事故は一過性ではなく、まだまだ放射性物質は放出され続けていると。炉心まで融け、地球の裏側まで穴が空いてしまう可能性があったこと。(チャイナシンドローム:スリーマイルアイランドの事故で懸念された)だんだん解ってきたのに、廻りにいる人たちの生活は何も変わっていない。
8月、日本に帰国。ジェット気流に乗って、日本でも死の灰が確認されたとの報道も知る。日本人で実害を受けた人はいない?他人事のようにショ−のように報道され続ける。ソ連政府はまだ、初動の不手際を明かさない。・・・・・
あれから20年。チェルノブイリの遮蔽設備は今崩れようとしている。また、大量な死の灰が放出される。この20年で何が変わったのか。ヨーロッパでは、新規の原子力発電所を作らないと決議した国も多い。単純に(環境コストを考えずに)コスト比較をすると、圧倒的に安い原子力を放棄するのである。
日本は、まだまだ作ろうとしている。電力会社は安全と言い続ける。誰も、もしものことがあったら安全ではないと解っている。でも、作られていく。
作ることは公共の福祉からしょうがない究極の選択肢の一つかも知れない。でもその選択するのなら、
100年に一度の確率でこの程度の事故が起きる可能性があります。
もしも、そのときはこのような方法で、初期の防衛をして下さい。
それさえできれば、事故が起きても死亡に至る可能性は、100万人に一人です。
と、こんな説明があると分かりやすくて良いですよね。それがイヤなら、クリーンエネルギーを得るにはこんな単価になりますよという選択ができるから。
そんな時代が来るように、みんなが環境に関心を持てるようになれば良いなあ。