素敵な奴ら

素晴らしい3人の人に会いました。大台町の役場で。
定例の大台町での勉強会に、”役人だけでなくて、地元の人を呼んで下さい。”と声掛けしておいたら、変な三人の人を呼んでくれました。日がな半分は百姓、残りの半分は自分のやりたいことをしているという男性。元々は伊賀地方に住んでいて、ダム工事に伴い退去させられて、大台町にやってきたとのこと。農業で自給自足をし、暇なときは、作陶生活をしたり、ビオトープを創ったり。今度は水力発電でも創ろうかな?と言う話が、お役人の耳に入り、今日の参加になったとか。ちょっと年配の人。
森を救うのは今しかないと、東京近郊から移り住んで、今や、毎日間伐三昧。10年後、20年後の山林の状態をイメージし、どの木を伸ばすためにどの木を間伐しようと、思いを馳せるとき、こんな幸せな時間は無いという。まだまだ若い独身男性。
もう一人は、大阪から、生き物との共生を目指して移り住んできた人。自分が、虫と同じレベルの一生き物でしかないと実感するとき、大台の環境のすばらしさを感じるという。この人は家族を伴い、昴学園よりずっと山奥で住んでいるとのこと。彼曰く、なんでも無料の土地”楽園”だと。”薪が欲しい”と言えば、”この山の木を間伐して勝手に持っていき!”と言われ、”農作業がしたい”と言えば、”この畑を使い!”と言われ、”同志が集まる小屋が欲しい”と言えば、この辺りなら、勝手に建ててええよ!、丸太もその山の木を切って使いな!”と言ってくれる。なんにも金要らへん所やでここは。

まだまだ一杯武勇伝を聞かせて貰いました。風呂は薪で沸かす。県の土木部の発注で山の工事が行われると、そこに立っている木は切り取られると全て産業廃棄物だそうな。薪に欲しいともらいに行っても、廃棄物を不正処理することになるので、ダメだと言われる。そうして有用物を莫大な税金という処理費を無駄にしてゴミとして処理をしている。
山から生まれた物を山に返す。その時に少しだけエネルギーをわけて貰う。元の山に戻れるように、最低限のエチケットを守る。本来、人間と山との関係はこんな事だったのでは?ケヤキの木を天井板に使う。その家を建て替える特はケヤキの天井板は乾燥しきって狂いのない材料になっているから、今度はタンスに造り替える。とことん使い切ったら、最後に焚き物にしてエネルギーを貰い、山に返す。もちろん灰は、畑の土壌改良材になる。
自分たちの都合だけで、大量の杉と桧を植林し、今、手を入れる人が極端に減ってしまっている。本来の自然林の雑木林なら、それ程の人力が必要なかったのに。間伐できていない単一樹種の山はやがて荒れ果て、遠からず自然災害を発生させる。これは決して自然ではなく、あくまで人為的なことなのに、みんなが自然災害と言う。なぜだろう。余りに大きなサイクルで回っている話なので、誰も責任を負いたくないから?
この疑問に敢然と立ち向かう変な、いや素晴らしい人たちに出会えました。