ベルリンの壁崩壊から20年

ニュースでは、盛んにベルリンの壁崩壊から20年と報道しています。
これだけニュースになると言うことは、ベルリンの壁そのものが風化してきたと言うことでしょう。
崩壊の3年前、新婚旅行で東西ベルリンを行き来しましたが、そのころは、これほど早く壁が崩れ去るとは全く思いもしませんでした。
チェックポイントチャーリーという検問所を歩いて通ったときの緊張、ローカル線で、東ドイツから西ドイツへ抜けるときの国境駅での車両検査。
そのときの緊張感は、23年たった今でも忘れません。
車両検査は、床下や天井などの点検口も、全て捲ってサーチライトを当てるんです。
緊張の極限を抜けてたどり着いた西側の街Hof(ホーフ)でのビール祭りの賑わいと対照的だったこと。

我が家の子供達は、ベルリンの壁についてほとんど知りません。
これはドイツでも同じそうです。
東時代の欠点は埋もれてしまい、失業がほとんど無かった、喰うに困らなかったことだけが大きく伝えられ、東回帰の空気も出てきました。
20年たっても埋まらない東西の格差、同じゲルマン民族でありながら差別が消えていかない。
同じように民族を分断している南北朝鮮などは、もっと困難を極めるのではないでしょうか?