私が聖徳太子だった頃

風呂に入ってボウっとしていたとき、突然この一文が頭をよぎりました。

”私が聖徳太子だった頃”

筒井康隆風に展開したら、面白い話が書けるかな?などと思ったりして、畏れ多いことですが。

推古天皇の甥で、当時としては結構長生きで、あれだけの功績がありながら、天皇にはならずに、肖像画すらない。

一般に聖徳太子と見られていた肖像は、杓の形状などから、冠位の高い人ではあり得ない。

色んな事を条件つけて時代考証をしていると、ある朝目が覚めたら、自分が飛鳥時代にいたという話。

古き良き平和な日本に、大陸から圧倒的なパワーの文化が入り込んでくる。

ここで、古来の日本と大陸の文化の融合を計る。

もう一つ飛んで、紀元前6世紀、お釈迦様が生きている時代。

お釈迦様の説法を耳にして、感動。物売りをしながら、仏教の知識を身につけていく商売人。

飛鳥時代に戻って、ある時ふと思う。

21世紀の記憶と、紀元前6世紀の記憶を持って飛鳥時代にいる。

私に出来ることがあるのではないかと。

その能力に気づいた野心家が、推古天皇の甥というポジションを与え、自分の出世の道具にしようと企む。

憲法を制定し、遣隋使を送り、冠位を制定し、何よりも、古神道と仏教の融合、そして梵語と漢語から日本語の形を決めると言う現代日本文化の根幹をなすこととなる。

なんて話しの展開、面白いかな?

エンディングは、歴史の辻褄が合わなくなる前にと、突然姿を消して、現代に戻るという話。

紫色の冠の紐だけを手に現代に戻ったら、少しだけ前と変わっている。

白人や黒人が参加する、世界の仏教の会議が始まったというニュースが流れているところでフェードアウト。

なんてね。